昨日の夜もまた、半袖ではちょっと寒いくらいの冷気が窓から入ってきました。それでも、今日の朝には青空が広がり、真夏日に迫る暑さ。このような寒暖の差が、果物にはとってもよい環境なんでしょうね。食欲の秋のはじまりです。何でも明日は真夏日(最高気温が 31度)の予想がでているようです。

昨夜、NHKのラジオ深夜便を聞いていました。すると、自称、哲学者で文章を書き、音楽を探究しているという方が、「笑う哲学者 熟年を語る」で、とても興味のある話をしていました。今まで「笑い」に関しては、幾度となくこのブログでご紹介してきました。

2006.08.27 笑いを数値化する爆笑計
2006.08.06 笑いと健康増進
2006.08.05 喪失体験とうつ
2006.03.26 即席病院寄席

ひまわりが興味を引いたのが、「こだわりから開放された時に笑いが起こる」という笑いの「哲学的な解釈」。この解釈を、体質学的なアプローチで考えた場合、「こだわり」という気質特性を示す「中胚葉」は、ひょっとして、なかなか「笑うことができない」体質なのではということに通ずるものだと思いました。

なぜ笑っているのか、何によって笑っているのか、何を笑っているのか、これらを突き詰めると、自分のこだわりがわかってくるのだそうです。突き詰めることを、ゲストの方は、何度も「探求」という言葉を使って表現していました。

名刺交換の例で、自分の名刺がなかったとき、相手の方に「ほかの人の名刺でもいいですか」と「他人の名刺」を渡したときに、もらった方が「笑った」ときの事を引き合いにだされていました。もちろん、怒りだす方もいるでしょうけど、笑う方もいると思います。

人は、自然に自分の名刺と他人の名刺を区別して、渡すときに注意しています。人前では利口にしないといけないとか、やってはいけない事など、もう無意識にそのような注意を払っています。それがこだわりというもので、自分のこだわりを、意識している事を打ち破って名刺を渡すこと、その「こだわりから一瞬開放され自由になった」ことが「笑い」となるのではないか、ということでした。

「笑いはこだわりの開放」、こだわりは、ある面ではとても大切で重要なことではありますが、あまりにも度が過ぎると、自分自身を指示し、自分にストレスを与える結果となります。このストレスに対抗する形で、生体の恒常性は、自律神経系と内分泌系、さらには免疫系でバランスをとろうとします。

耐えることができるうちは、何とか持ちこたえることができますが、限界まで達したときに、今までの積み重ねが「病気」として跳ね返ってくる結果を引き起こしてしまいます。こだわり過ぎると、病気を引き起こし、こだわりの開放は笑いにつながる、という両極を言い表しているような感じがします。

病は気象と気から」ということで、昨日ブログを投稿しました(2006.09.02 病は気象と気から)が、「病はこだわりから」、そのこだわりを、特に気質的に持ち合わせているのが中胚葉、そして、そのこだわりから開放されたときに「笑い」が引き起こされ、病からも開放される、こんな単純な考え方が見えてくるようです。